宗教文化の網の目

「宗教を信じること」が暴走しないために。偏見や差別、暴力の助長に宗教が加担するような局面を減らしたい―。一筋縄ではいかない問題を、井上順孝さんが考えます。

第22回 宗教文化の知識で「予測する心」の弱点を補うには

プーチンを支持するキリル総主教

 2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、夥しい数のウクライナ市民の犠牲者を出していて、世界に大きな衝撃を与えている。近現代において国家間の紛争や戦争に、宗教的な対立が絡む例がいくつかあった。宗教紛争と呼ばれる場合は、パレスチナ問題にしろ、カシミール問題にしろ、異なる宗教や宗派の間の軋轢が介在することが多い。今回の場合はロシアもウクライナもオーソドクス(東方正教会)の信者が大半を占める国で、宗教紛争の要素は薄いが、まったくないわけではない。

 2019年にウクライナ正教会がコンスタンティノープル総主教から独立教会の承認を受け、ロシア正教会がこれに異を唱えた。ウクライナ正教会はロシア正教会の管轄下にあることが1686年に決まったのだから、それを無視するのはおかしいという主張である。ウクライナ正教会とロシア正教会の関係のこじれが、ウクライナ侵攻にどれほどの影響をもったかは分からないが、少なくとも正教会が両国の融和に向けた役割を果たしようがない状況にあったのは確かである*1

 侵攻の翌日にローマ教皇フランシスコはバチカンのロシア大使館を自ら訪れ、深い憂慮を伝えた。また3月2日付のウェブ版バチカンニュース(Vatican News)によれば、ロシア正教会の司祭233人が「平和の呼びかけが一切拒否されてはならない」とする表明を公にしたとされる。これらからも分かるように、キリスト教指導者の多くは平和を願い、暴力に反対する。しかしその祈りはなかなか通じない。ロシア正教ではユリウス暦が用いられている。このユリウス暦での復活祭に合わせた休戦提言が、ローマ教皇からロシアとウクライナに向け4月に出されたが実現しなかった。さらにはロシア正教会のキリル総主教のように、プーチン大統領支持の立場を明確にする人がいる。

 キリル総主教の主張に対するロシア正教会の司祭たちからの批判は増える傾向にあるようだが、宗教的リーダーが、国の政策に全面的協力の姿勢を見せる例は世界にいくらでもある。少し歴史を振り返れば、日本も第二次大戦時は翼賛体制のもと、宗教界のリーダーのほとんどが戦争協力の姿勢をとった。各地の神社では戦勝祈願が行なわれた。軍人が出征に当たって神社に参拝し、多くの人々がその戦勝祈願に加わった。当時の写真を見ると、皆真剣なまなざしであるのが見て取れる。

 戦後は多くの宗教家が戦争協力の姿勢を反省し、謝罪を表明したりした。日本山妙法寺の創設者藤井日達のように、戦時中に戦争祈願をしたことを反省懺悔し、戦後は核廃絶を目指す平和運動を開始した宗教家もいる。しかし中には戦時中の行為を、現在でも当然とする人たちも少数だが存在する。こうした歴史と現況を見据えるなら、キリル総主教の姿は、日本の宗教家たちにとって無縁どころではない。

 

逆張り論者の横行

 ロシアによる軍事進攻を批判し、ウクライナ市民を支援しようとする姿勢が日本社会の大勢を占める。ところが、ごく一部にはロシアを擁護し、さらにはウクライナによる陰謀説まで唱える人がいる。その中には「逆張り論者」と呼ぶべき人がいる。逆張りはもともと投資用語であったとされる。投資はリスクが大きいから多くの人が向かうのと違うやり方を選択する逆張りは、一つの戦略としてそれなりの有効性をもつ場合があろう。

 ほぼ大勢が決まっているときに、わざわざ逆の立場を主張する「ひねくれ者」と呼ばれる人もいる。これも逆張りに近い効果を持つ。逆張りすると、少数派であるがゆえに目立つという効果が生じるので、目立つことが本来の狙いである人もいる。そうした人がSNS時代には増えたように思えるし、テレビでもてはやされたりする例もある。それを好む「逆張りオタク」と呼ばれる人たちもいる。

 ひねくれての逆張りや受け狙いの逆張りは、その人の生き方になっている。自分はそうやって生きていくのだと思っている、いわば確信犯のようなところがあるが、そうした人が絶えないのは、逆張り的な処世術が生き延びる上で一定の有効性を持つ状況もあったりするからだろう。問題にしなければならないのは、明らかに間違っている逆張り論、陰謀論めいたストーリー、基礎知識がまったくないと思われる話、こうしたものに対して、少なからぬ人が賛同し、共鳴者・追随者となっていく現象である。2020年の米国の大統領選挙に際して一躍有名になったQアノンや、それをモデルにして最近注目を浴びるようになった日本の神真都やまとQであると、リーダーの言説を信じるだけでなく、その言説に従って実際に行動を起こす人が多数出てくる。このような事態は今後増える可能性があり、一過性と見なすべきではない。

 第二次世界大戦中に多くの日本人が大本営発表を信じたのは、人々が得られる情報が今日と比べると格段に限られていたからでもある。現在のロシアや北朝鮮のように、権力者による情報統制がすさまじい状態になっていると、異なった立場からの情報にアクセスできないから、一方的な主張に多くの人が導かれるのは避け難い。しかし、昨今の逆張り論、さらに陰謀論などに惑わされる人は、高度情報化と呼ばれる時代に生きている。従来のマスメディアに加えてSNSによる多様な情報を得られる環境にあっても、こうした現象が多発しているのだから、人間の認知能力は大きな弱点を抱えているに違いない。

 日本や米国のように、一応は民主国家とされ、言論の自由がかなりの程度保証されている国においても、偏った情報、ものの見方は強い生命力を誇っている。言論統制が厳しい国における一面的な世界理解の流布よりも、言論統制の弱い国や社会における逆張り論や陰謀論の横行は、自分を取り巻く環境に対する人間の知覚や認知のなされ方に、どのようなあやうさが潜むかを考える上で見逃せない。

 

「予測する心」の弱点

 SNS等での炎上が目当ての逆張り論を受け入れて、これを拡散させようとする。ほとんどの人が相手にしないような陰謀論を信じ込み、周りの人間も巻き込もうとする。荒唐無稽な言説を繰り返す教祖を信じ、友人や知り合いから距離を置かれるようになっても意に介さない。高等教育を受ける人の割合が高まり、情報ツールの技術が飛躍的に発展しても、こうした人はあちこちに存在する。SNS時代は短期間でそうした人の数が急激に増加する方向を導いている。

 人は自分が抱くことになった信念にとって都合のいい情報だけを選び、ますますその信念を強めていく傾向は、認知バイアスの中でもとくに確証バイアスと呼ばれる。確証バイアスはどのような脳の働きを基盤にしているのだろうか。とりわけ戦いが世界各地で常に起こり、残虐な行為が繰り返されるだけでなく、それが正しいことだとまで主張する人が絶えない。脳は一体どのようなメカニズムでこのような有様を理解していくのか。

 脳は外界を、また自身の身体の状態をも、直接的には把握できない。対象の大きさ、色、動き、発する音、匂い、肌触り、そうしたものが得られたと感じても、それはあくまで間接的な把握である。神経細胞を通してやってくる無数の情報から、脳は対象についての諸々のことを絶えず推測している。脳の働きをこのように捉えた上でなされているのが、脳の予測、さらに心の予測についての最近の議論である。

 脳の予測に関わるカール・フリストンの自由エネルギー原理(FEP)については、この連載の第17回で触れ、その後も言及してきた。すでに述べたように、FEPに関する議論においては、脳がベイズ推定によって予測するという考えが中核にある。ヤコブ・ホーヴィ(Jakob Hohwy)も『予測する心』*2という書の中で、フリストン同様、脳はまず予測するのであるという立場を明確にしている。ベイズ推定に関わる用語である事前確率、事前信念という言葉が繰り返し出てくる。

 ホーヴィもやはり従来主流であった知覚のとらえ方、つまり対象を知覚しその知覚のありようを正確にしていくために、さらに注意深く対象を観察するというメカニズムを否定している。脳はまず対象を予測するという立場に立つ。それは何なのか。どこにあるのか。どういう状態であるのか。どう動いているのか。どういう意図を持っているのか、等々。そうした生まれた予測信号が正しいかどうかを、対象についての知覚から得られた信号と照合する。当然ながらそれは合致しないので、予測誤差が生じる。この予測誤差を最小化するように注意をし、行動するというメカニズムを前提とする。予測誤差を最小化することは、生物が絶えず変化する環境の中で生きながらえるために必須と考えている。

 それゆえ「心は根本的に予測誤差最小化のメカニズムに他ならない」と主張される。以前に述べたことを繰り返すことになるが、予測誤差の最小化を日常的な表現に近くすると、「驚きを最小化すること」である。この驚きは環境を適切に把握していないことから生じる。重要なのは、驚きを最小化するのは真の外界を認識のためではない、とされる点である。驚きの最小化は自身の生存にとって都合の悪い状態に陥ることを避けるためになされる。真理を求めるのではなく、あくまで自分にとって都合がよいと思われる状態を目指す。まさにこの原則こそが、ときに倫理を逸脱していると批判される考えや行動、非人道的な行為を進んで行なう人間が生まれる条件になっていると考えられる。

 予測する心は真実を知りたくて予測の誤差を修正していくのではなくて、自分が生きていく上でためになるように誤差を修正していく。ここでは善悪の問題は直接的には重要ではなさそうである。だが、複雑な文化を発展させた人間社会では、誤差修正の至るところで文化の影響が及ぶ。社会の成員のほとんどが悪とみなしている行為を選ぶことは生きていく上でマイナスに働く場合が多いと考えられる。文化は脳からのトップダウンの信号を発する際に影響力を与えうる。それは進化の長い歴史の中で構築された仕組みからの力には及ばないかもしれない。それでも、とりわけ悲惨な出来事に直面し、心がそれに対処しようとするとき、大きな力を発揮することもある。宗教文化もときにその役割を果たしてきた。

 

曖昧な情報に惑わされやすい脳

 ホーヴィは、ラース・シュバーブ(Lars Schwabe)とオラフ・ブランケ(Olaf Blanke)による幽体離脱経験についての計算論的研究を紹介している*3。内耳の前庭と呼ばれる部分における処理が幽体離脱の経験に貢献するという仮説である。動作や位置についての脳のトップダウンの予測と、前庭にある耳石からのボトムアップ信号のミスマッチが動作の錯覚を引き起こしうるとしている。

 頭が動くと耳石が有毛細胞を刺激して、人はどの方向へどの程度動いたかを感知する。どうやらこの仕組みが曖昧な情報をもたらすことがあるらしい。たとえば頭を枕に乗せて静止している状態のときと、頭がまっすぐな状態で前向きに加速している状態のときとの区別が曖昧だという。ほとんどの場合、他の知覚情報、つまり周りの景色の動きとか、体の振動とか、さまざまな情報によって両者は明確に区別できる。通常は止まっているか動いているかといった認知は容易にできる。止まっているとき加速は感知されない。ところが睡眠中など他に得られる情報がないような場合に、枕に乗せた頭の傾き具合で、体が静止しているのに加速されていると経験される可能性が出てくる。頭が加速されているなら自分の体を置き去りにしなくてはならず、このとき幽体離脱経験がもたらされる可能性が出てくると説明されている*4

 我々が自分の体の動きを常に的確にとらえているわけでないことはすぐ確かめられる。多くの人が小さい頃、遊んでいて経験した「目が回る」という現象である。目をつぶって何回かその場でぐるぐる回り、止まってから目を開ける。そうすると周りが回っているように見える。これは内耳にある半規管の作用である。体は回転を止めたのに、半規管の中の有毛細胞はしばらく刺激が続くので、周囲が回転していると錯覚する。幽体離脱現象は超常現象のように語られることがあるが、人間の知覚は外界の状態を正確に捉えそこなうことがあるという理解に立てば、超常現象とみなすような事前予測に縛られることはない。

 ホーヴィはラバーハンド錯覚についても繰り返し言及している。ラバーハンド錯覚は、プロジェクションサイエンスなど人間の視覚認知における錯誤を扱う場合によく言及される。実験によって確かめられたことであるが、自分の手に並べて置かれたゴムの手と、覆い隠されて見えなくされている自分の手に、同時に刺激が与えられ続けると、刺激される位置が実際の自分の手の位置ではなく、ゴムの手の位置だと錯覚するようになる。

 さらにラバーボディ錯覚(フルボディ錯覚と表現する人もいる)にも言及し、ラバーハンド錯覚のバーチャル版についても論じている。バーチャルリアリティ(VR)において自身に生じる錯覚については日本でもいろいろな実験がされている。VRは人間の認知がいかに惑わされやすいかを知るには格好のツールになろう。VRゲームであれば、惑わされることが楽しさとして体験ができるかもしれない。ただ、おそらくこれを悪用する人も出てくる。超常現象の証明に使おうとする人もいるかもしれない。2020年2月に韓国のVR企業が、亡くなった娘を母親にVRで見せて会話させるという試みをし、その様子がYouTubeにアップされて、現在までに3千万人を超える人が視聴している*5。脳の認知の曖昧さがそれを利用したテクノロジーの発展によって、どういう方向に導かれるのか、ここには倫理問題が必ずや生じる。

 

異常な事態に直面したとき

 人間は対象を知覚してからその情報についての認知を得るのではなく、脳は予測をもって対象を知覚するという仕組みは日常的にはとても有利に作用する。ぼうっとしながらでも道を歩けるし、それほどの注意を払うことなく、目の前の料理を次々と口に運ぶことができる。友だちが歩いてくればすぐ挨拶できるし、常に走っている車には一定以上近寄らないように歩いている。生まれて以後の経験から得られる事前予測は、意識的あるいは無意識的に瞬時になされていて、それが結果的に我々の生存を有利に導くことがほとんどである。

 しかしながら、滅多に起こらない異常な事態や、経験したことのないような事態に直面すると、事前の予測がうまく働かず、適切な対処ができない。路上でわざと女性にぶつかってくる男性がいる。スマホを見ていたりすると避けられない。ぶつかってくる方が悪いのに、ぼっとして歩いているからだなどと、ぶつかられた女性の方が批判を受けたりする。日本のように比較的犯罪が少ない国では、あたりにそれほど注意を配らなくても危険なことは起こらない、という事前予測を持つ人が多くなる。それゆえの歩きスマホの多さである。滅多に起こらないことに対しては、事前の予測をする割合が低くなる。ひったくりが横行するような国では、歩きスマホをするような人はほとんどいないであろう。

 事前の予測は実際には絶えず修正されながら、刻々の事態の推移に対処している。それは予測誤差最小化の脳の働きによっているとホーヴィは述べる。予測誤差最小化の際に脳が行なうベイズ的な知覚推論は、事前の知識(事前確率)と得られた情報の確からしさ、つまり尤度ゆうどによって計算される。分かりやすく言えば、これまでの経験によって得られた知識(予測)に照らし、あることが起こりそうな確率を導き、目の前に起こっていることが、それに当てはまるかもしれない割合を推定することで求められる。

 文化的事象とされること、とくに宗教的な事柄が対象となる場合、事前の知識には個人差が大きい。空に見えるものを雲と認知したり、近寄ってくるものが犬だと認知したりするようなときには個人差は小さい。ロシアによるウクライナ侵攻に対する宗教家の姿勢についての認知になると、個人差はすこぶる大きい。ローマ教皇とキリル総主教と言われても、両者の関係への事前の知識は、ほぼゼロの人もいる。そうした大きな差がある上に、たとえばキリル総主教のプーチン擁護の発言を、どのような出来事として捉えるかも個人差は大きい。

 宗教や宗教文化についての事前の知識のあり方によって、人ごとに事前確率の様相は異なり、尤度の導き方にも大きな差がある。事後確率もまた多様になる。ところが現実社会では、オーソドクスについてきちんと学んだとは思えないような人が、自分の見解をテレビやSNSなどで発信する。それに接した人のうち、やはり事前の知識が十分でない人がそれに影響を受ける。こちらに近づいてくるのが犬かそうでないかとの推定とは比べものにならない複雑さが展開する。ときにとんでもない陰謀論集団が生まれる素地がある。

 

現代宗教の研究者にできそうなこと

 人間の脳はベイズの定理に基づいて知覚し、自分の置かれた環境についての予測誤差が最小になるように働くとする仮説を受け入れたとしても、この考えを宗教や宗教文化の問題に適用しようとすると、かなりの困難さが予測される。ベイズ推定では事前確率分布がどう計算されるかが以後の予測に大きく作用する。

 歩いていた道に縄が落ちていたとき、それを蛇と見誤って飛びのく。じっくりと見ることで予測誤差はすぐ最小化に向かい、心臓の鼓動は元に戻っていく。このとき、脳をかけめぐる反応は大半が無意識的になされている。1mほどの紐状のものがあったとき、縄か蛇か以外に事前確率の対象になりそうなものはそれほどない。またこの場合、まず縄を蛇と見誤ってしまう方が、蛇を縄と見誤ってしまうより、生存にとってのリスクを少なくする。こうした場合であると、ベイズ推定をする脳の予測の働きは理解しやすい。

 社会現象はそうはいかない。例えば「真のメシアが現れた」といったプラカードを掲げた集団が、駅前を列をなして歩いているのに遭遇したとする。この出来事に対する事前確率の生じ方は、人ごとに大きく異なる。「これはあの教団に違いない」、「変な宗教団体に違いない」、「自分と同じような関心を持っている人たちかもしれない」、「まったくわけの分からない人たちだ」など、いろいろな推定がありうる。それぞれについて、どれほどの確率を持つことがらであるか(事前確率分布)も、たぶんあやふやである。

 SNS時代には、事前知識がほとんど得られない事柄に関しても、雑多な情報が次から次へと飛び込んでくる。根拠のない言説に惑わされやすくなる。コロナ禍はワクチン接種に関するいくつかの陰謀論を生み、他方ではマスク警察のような過剰な反応を生んだ。経験の乏しい事態に直面したときの人間の知覚推論のあやうさは、グローバル化や情報化が進行する時代にはその度合いを高める。ベイズ推定では事前確率が十分得られていないと、反応は極端になると考えられている。目の前で展開されていることについての事前確率が得にくい事柄は、現代では急速に増えている。

 現代宗教を対象としている研究者であれば、日常的な宗教の話題には、一般の人よりは的確な事前信念を持つことが可能には思える。ただそれは絶対的優位と言えるような差とは思えない。多くの人が怪しいと感じるような宗教団体に対して、好意的な発言をするような宗教研究者が少数とはいえ存在する。対象についての知識が一般の人よりあるからと言って、一般の人より適切な判断を下せるとは限らない。これはどのような研究分野においても言いうる。

 脳は予測誤差最小化というメカニズムで作動していることを受け入れたとして、宗教研究者はどのような宗教知識をどのように養ったらよいと提言できるのか。適切な答えがそうたやすく見つかるわけはない。それでも、根拠のない陰謀論の類を信じ込むことや、社会を混乱に陥れるだけの信念などに対し、その危険性を見抜けるようにすることは必要だと言える。避けるべきことの提示だけでも一歩前進である。できることは限られていると感じつつも、試みるべき方法を探ってみたい。

 

※次回は6/8(水)更新予定です。

*1:この経緯は独立教会と自治教会の違いを踏まえないと理解しづらいし、少し複雑でもある。ウクライナ正教会とロシア正教会をめぐる問題の基本的理解には、下記にあるYouTubeのRIRCチャンネル「ロシアのウクライナ侵攻を憂慮するキリスト教指導者たち~オーソドクスと国家のつながり~」を参照。ロシア宗教研究者の井上まどか氏による解説がある。

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*2:ヤコブ・ホーヴィ『予測する心』(勁草書房、2021年。原著はJakob Hohwy, The Predictive Mind, Oxford University Press, 2013. 

*3:Lars Schwabe and Olaf Blanke, “The vestibular component in out-of-body experiences: a computational approach,” Frontiers in Human Neuroscience2008.を参照(下記URL)。シュバーブはドイツの認知心理学者であり、オラフ・ブランケはスイスとドイツの神経内科医、神経科学者である。Frontiers | The vestibular component in out-of-body experiences: a computational approach | Human Neuroscience

*4:幽体離脱を体験したという人はそれほど多くないが、金縛り現象はけっこう多くの人が経験しているようだ。眠りに入ってすぐ、あるいは夜中に目が覚め体が動かない。だが部屋の様子は見え誰かがいる気配がする。こういうのが典型的に語られる内容である。これもかつては心霊現象などと捉える人も少なくなかったが、睡眠時の脳の働きが解明されるにつれ、金縛りの正体は「睡眠麻痺」の現象とされるようになった。

*5:この動画はYouTubeで視聴できる。

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