宗教文化の網の目

「宗教を信じること」が暴走しないために。偏見や差別、暴力の助長に宗教が加担するような局面を減らしたい―。一筋縄ではいかない問題を、井上順孝さんが考えます。

第4回 気付かぬままに固守するもの

グローバル化への反発の理由

 グローバル化(globalization)という言葉は現在ではあちこちで使われ、もはやあまりインパクトのないものになっている。だが実際どんな意味で使っているかを確かめると、意外に曖昧で、人によってだいぶ差がある。どこの国に行ってもマクドナルドのハンバーガーが食べられるような状況が思い描かれることがある。均一化というイメージであろうか。英語が世界の共通語になるような捉え方も見られる。画一的標準化のイメージであろうか、あるいは一極支配のようなイメージであろうか。こういう捉え方なら、反グローバリズムの姿勢が出てくるのも分からなくはない。近代化もそうであるが、社会の多様でかつ大規模な変化を、グローバル化という一つの観点ですべて語ろうとすると無理が出てくる。その変化のありようの特徴を捉える一つの視点がグローバル化だと考えるとスッキリする。

 グローバル化と宗教の変化を結び付けて考えるのは、ようやく1990年代に広がった。Google Scholarというインターネット上のサイトがある。世界中の研究文献の検索にはとても便利でよく使っている。このサイトで「globalization」と「religion」でのAND検索をやってみると、1995年に初めてヒット数が1,000件を超える。またその1995年に1,210件であったのが、10年後の2005年には13,700件と10倍以上になっている。日本語の文献だけを調べてみるとどうか。「グローバル化」と「宗教」でAND検索すると1995年に21件であったのが、2005年に282件である。やはり10年間で10倍以上である。日本語での増加傾向が2~3年遅れる傾向はあるが、似たような増加のカーブになっている。

 個人的にはグローバル化は近代化と同様、社会の変化の潮流として避けえないものとして捉えているが、グローバル化には拒否感を示す人もけっこういる。先に述べた均一化、画一化、一極支配への反発なら当然と思うが、そこには今まで守ってきたものが侵食されることへの不安が見え隠れする。これも当然と言えば当然であるが、何が侵食されることに不安を抱くのだろうか。個人的には、グローバル化と言われている大きな変化のもっとも特徴的な性格は、ボーダレス化と呼ばれる作用だと考えている。宗教を布教したり、宗教について教育したりする人たちにとって、これは見逃せない作用に違いない。原理主義的な動きが強まるのも力学的なバランスと考えると分かりやすい。

 

ロバートソン教授との出会い

 宗教教育のプロジェクトに関わっていた頃、現代における宗教の衝突や紛争を考える上で、グローバル化という視点は間違いなくこれから重要になると思った。グローバル化という概念の宗教研究における重要性に気付かされたのは、ローランド・ロバートソン教授との出会いが契機である。ロバートソン教授の宗教社会学にきちんと接することになったのは、1983年に刊行された『宗教の社会学』(田丸徳善監訳、川島書店、原著は1970年)の訳者の一人に加えてもらったときである。原文は非常に論理的な文章であった。翻訳経験はそれ以前には一度しかなかった。1980年に岩波書店から刊行されたポール・ラビノー著『異文化の理解』である。モロッコでのフィールドワークの経験をもとにしたもので、「異文化の理解」は可能か、という当時の私の関心と重なるところがあった。この本を訳すときは、著者が体験したことを間違って伝えないようにと気を配ったが、ロバートソン教授の著書の場合は、論理展開を読み違えないようにと注意した。一つひとつの論が緻密にそして丁寧に運ばれていると思ったからだ。ただこの本ではグローバル化に関する議論は述べられていなかった。

 1987年に同教授が来日して、ともに参加していた国際シンポジウムでいろいろ意見を交わす機会を得た。また福岡県に本部のある善隣教(当時は善隣会)を案内して、教祖祭である「ひょっとこ祭り」を一緒に見学した。このひょっとこ祭りの様子は、前に紹介した『新宗教事典』の巻頭グラビアページに掲載されている。これを担当した写真家の藤田庄市氏の絶妙なショットがいくつかある。この道中でも、グローバル化の捉え方についてあれこれ聞くことができた。同教授が主張していた国際化とグローバル化とは異なるプロセスであるという考え方が新鮮に思われ、強い関心を抱くようになった。

 『新宗教事典』では「新宗教と異文化」という部を設け、新宗教の国際的活動を扱ったが、日本の宗教の国外への広がりを国際化ではなく、グローバル化という視点から捉えるとどうなるかと考えるようになった。国際化(internationalization)は、字義通り国と国の間にボーダーがあることを前提とした相互関係の深まりの過程である。グローバル化は、そうしたボーダーが消失していくようなプロセスとして捉えられるのではないか。個人的にコンピュータによる情報交換のあり方に関心を抱き始めた時期であったということもあり、これからの世界の変化を見ていくに欠かせない視点と確信した。いずれ宗教現象にもそれは広く深く及んでくると予感した。1990年代以降の研究は、つねにグローバル化と情報化を視野に入れたものとなった。グローバル化と情報化は切り離すことのできない深い関わりを持つからである。

 

宗教教育の場に押し寄せつつあった情報化の影響

 グローバル化の大きな推進力になる情報化だが、何を基準にするかで、いつから情報時代と呼べるかは異なる。インターネットの一般への普及ということを基準にすると、日本など多くの国では1990年代の半ばあたりが分岐点になろう。それ以前を「プレ情報化時代」と呼んでおく。プレ情報化時代における宗教に関する教育では、教師の情報伝達の仕方が非常に大きな影響力をもっていた。教科書があり、各種の教材があっても、それを用いるのは教師である。同じ教科書を使っていても、教師の説明によって生徒の理解の仕方は大きく異なることは、誰しも体験しているであろう。宗教についての教育は、好むと好まざるとにかかわらず、世界観や人生観といった価値の問題に触れざるを得ない。そこでは、教師が持つ宗教への評価とか素養とかが滲み出てくる。

 國學院大學日本文化研究所における宗教教育のプロジェクトでは、宗教系の学校が宗教についてどのような授業をしているか、どのような教材を用いているかをアンケート調査によって調べた。小学校から高校までを対象にしたが、予想以上に多くの学校から回答が得られた。各校で使用している教科書・教材の一覧を、1997年に刊行された國學院大學日本文化研究所編『宗教と教育』(弘文堂)の巻末に付録資料として掲載した。1990年代前半の状況を調べたことになるが、宗教系の学校はほとんどが週に1時間の「宗教」という授業を設けていた。教材はそれぞれの学校が関係する宗教についてのものが多かったが、中には広く宗教全般についての教材を用いているところもあった。

 プレ情報化時代には、こうしたカリキュラムに従って教師が教える内容が、生徒の現代世界の宗教理解に際しても、重要な情報源であったと推測される。1960年代、70年代であると、世界の多様な宗教について、生徒たちが日常的に触れる機会は乏しかった。むろん地理や世界史や倫理社会などの教科書を見ると、世界のいろいろな宗教の歴史的な展開は紹介されていたし、現代の状況も少しは説明してある。しかし文章で読むのと実際に体験するのとでは大違いである。1977年までは来日する外国人も年間100万人に達していない。2020年こそ思いがけない新型コロナウイルス感染症の世界的広がりで激減したが、2019年には3,000万人を超していたのに比べると桁違いの少なさである(法務省データ)。在留外国人の数も1980年は約78万人で全人口に占める割合は0.7%であったが、2019年は約287万人で人口に占める割合は2.3%になっている(総務省データ)。今思えば1990年代はグローバル化や情報化が、日本社会で急速に進行し始めた時期であった。

 

心の中にあるボーダー

 21世紀にはグローバル化と情報化はさらに進行するが、2010年代になった頃に学校教育を受けた世代は、グローバル化によって新たな事態が生じているとは、あまり受け止めなくなったかもしれない。プレ情報化時代に育った人が新しい事態と身構えることでも、日常的な光景として感じ始めた可能性がある。多くの外国人が日本で生活するようになり、その子どもたちが学校に通うようになる。たとえばイスラム教徒は豚肉を食べないのだというのは、給食の時間があればすぐ体験することである。地域差もあるが、都市部では外国人との共生は、若い世代にとっては特別なことでもないだろう。

 問題はむしろ教師の方かもしれない。こうして目に見える形で生じている社会の大きな変化に、どれほど柔軟に対処できるかである。世界にはいろいろな宗教があり、人々は異なった宗教文化を身につけて育つということを、一般的な表現として受け入れることはそう難しくない。だが目の前に戒律ゆえにある食べ物が食べられないとか、女性はヴェールをつけることになっていると主張する人があらわれたとき、どう対応するか。果たして自分の心の中にあった見えないボーダーに気付くかどうか。

 教師にとって、それはおそらく相当難しい課題に違いないと思うに至っている。よほど自覚的にこの課題に向かい合わないと、自分の心の中にボーダーがあるとさえ気付かない可能性がある。外国で長くフィールドワークした研究者でも、それに気付いた上で相手がどのような世界に生きているかを理解するのは容易ではないと述懐する人がいる。モロッコでインフォーマントの言動にいくどか翻弄されたラビノー氏も、『異文化の理解』の中でそのことを率直に記していた。

 当時はハワイの日系人の宗教調査を経験していたこともあって、ラビノー氏の示した悩みには共感するものを覚えた。1982年から翌年にかけて『女子大通信』という日本女子大学が刊行していた雑誌に、「『理解』という名の『誤解』」と題して4回連載のエッセイを書いた。古いものだが、自分の当時の考えを振り返るためということもあって、ホームページのエッセイのコーナーに掲載してある(http://www.kt.rim.or.jp/~n-inoue/)。このときに漠然と感じていたことは、21世紀に入って、脳神経科学等の成果に触れたとき、より鮮明な姿をとり始めた。

 

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